ご心配おかけしています

今日は上の子の誕生日で、外泊許可をもらって家に戻り、久しぶりにパソコンで書いてます。
入院はまだまだかかりそうです。今飲んでる薬は、
朝・昼・夕ルボックス25mg×2(抗うつ剤SSRI) 
    レキソタン2mg(抗不安薬
寝る前デジレル25mg×2(抗うつ剤
   パキシル10mg(抗うつ剤SSRI)
   アモバン7.5mg(眠剤
   ハルシオン0.25mg(眠剤
という感じです。

当日の事を思い返してみます。
前日の夜。仕事のことを考え出して無力感に襲われました。自分の役職の意味、自分のポジション・役割・・・
何も期待されていないんじゃないか。信頼だけはあるかもしれないが、それだけでスーパーバイザーになれるわけでもなし・・・
自分の居場所がない、役割がない、自分には価値はない・・・そういうマイナスの波にはまってしまいました。そして、行き着いたのが「死」でした。明日、人気のないところでOD(薬物過剰摂取)しよう、そう決めてしまいました。
翌朝、家族が起きる前に家にある薬をかき集め、歩き始めました。なんとなく近所の駅からは電車に乗りたくなく、1時間以上かけて相模大野という駅まで行きました。そこで運賃表を眺め、小田原までの切符を買いました。小田原なら山がある、その中で・・・と考えました。
小田原に着いて、駅ビルのドラッグストアの看板を見て薬を買い足すことにしました。開店まで時間があったので駅前をぶらぶら。頭の中は「死」だけ、家族のことなど考える余裕もありませんでした。10時になってドラッグストアへ。頭痛薬「イブ」と睡眠導入剤ドリエル」を購入、財布の中が千円を切り、もう引き返せないなーと思ったことを覚えています。
適当に歩き始め、山に向かっていく道を見つけて坂道を上がり始めました。しかし、周りはみかん畑ばかり、死ねそうなところが見つかりません。しばらくすると「一夜城公園」というところに到着。さらに進むと、ゲートのある林道の入り口を発見しました。「これなら人も入ってこないだろう」、そう思い、ゲートをくぐりました。しばらく歩くと、座るのにちょうどいい岩を発見。そこに腰掛け、薬を紙袋に出し始めました。抗不安薬睡眠薬、頭痛薬、安定剤・・・合計で170錠ほどはあったと思います。それを5回くらいに分けてミネラルウォーターで飲み込み、ブログに書き込み。自分の存在証明を残すような気持ちでした。それから、持っていたバッグのショルダーベルトで輪を作り、木の枝に引っ掛けて首をつろうとしました。が、すべって転んでしまい、あー、この死に方はできないかなー、と思い岩に座りなおしました。記憶はここで途切れています。
気が着いたら病院でした。後でわかりましたが、2日後の夜でした。声を出そうとしてものどに異物感があって声が出ません。私が目覚めたのに気がついた看護師が、説明をしてくれました。ここは東海大学病院の集中治療室であること、重い肺炎を引き起こしているので口に人工呼吸器を入れていること、など。両手には複数の点滴やセンサー、ぼうこうにはカテーテル、とさんざんの状態でした。わりと早く誰かに発見され、搬送されたようです。
数日後に人工呼吸器が外れ酸素マスクになり、それが鼻からの酸素吸入になって経口摂取ができるようになり、カテーテルもはずれ、その後、状態の安定した人の入る病室に転室しました。そんなとき、ベッドでふと「なぜ死ねなかったのか」「なぜすぐ発見されるようなところを選んでしまったのか」と考えている自分がいました。ちなみに、ODは「薬の量は死ぬほどではないが、発見が遅れて肺炎をこじらせていれば二次的に死んでいたかもしれない」ということです。
5月6日、以前にも入院した「大和病院」に入院。しばらくは不安定で、ベッドのシーツを見て「これをトイレの通風孔に結べば首を吊れる」と考え、「意識がはっきりしてるより朦朧としているほうが思い切ってできるだろう」と、寝る前の睡眠薬を飲んだふりをして貯めたりもしました。
入院して10日目くらいから徐々に気持ちが安定してきて、ためた薬も捨て、主治医にも白状しました(その後、私は服薬の際は看護師の前で飲み込み、口をあけて飲んだことをチェックしてもらうようになってます)。入院生活はもちろん楽しいものではありませんが、今回はやってしまったことがでかいので、仕方ないですね。あせらずにいこうと思います。
またいずれ近況を報告します。