『歩く』こと

 最近、よく歩いている。
 『近所の目もあるから』という理由で、朝家を出て暗くなってから戻ってくることを義務付けられているのだが、時間のつぶし方にいつも苦労する。
 定番はスーパー銭湯の寝ころび湯でぼーっとする、というものだが、それでもそこに6時間7時間いるわけにもいかない。で、時間のつぶし方のひとつが、なぜか『歩く』ことになってしまった。
 先日はふらりと田園都市線二子玉川駅に降り立った。ちょうどお昼時。駅前でラーメンを食べてから、川原でごろりとして時間をつぶそうと考えた。
 ところがこの日はとても天気がよく、ごろりとしてもまぶしくて仕方がない。30分くらいして、『まぶしいの我慢するくらいなら散歩をしよう』と思い、下流に向かって歩き出した。
 最初は、「まあどのくらいかわかんないけど東横線の駅あたりまで歩こっかな』くらいに考えていたのだが、1時間ちょっとくらいで東横線の鉄橋が見えてしまった。「うーん、まあもうちょっと歩こうかな、確か多摩川の横には東急線が走ってるから、疲れたら駅に向かえばいいし』と、さらに歩く。
 多摩川の河川敷は、とても広い。ところどころ、学校などのグランドになっている。高校生の野球やテニスの練習姿を見つつ『あいつらの倍くらいもう生きてしまったんだ』と改めて自分の年齢を実感する。
 野球の試合をちょっと眺めて休憩したりしていたらだんだん日が暮れてきた。多摩川が蒲田の手前で大きく蛇行していたことをすっかり忘れていて、『あれー、まだ蒲田じゃないの?』と思いながら歩き続ける。JRの鉄橋が見えるところまで歩いてくると、河川敷にはホームレスの住処が多くなってきた。対岸は歴史的経過を背負った町、川崎の戸出だ。『現代日本における社会福祉課題とは?』などというテーマだけ頭に浮かべつつ、すっかり暗くなった中をJRの鉄橋沿いに河川敷を横切り六郷土手へ。すぐだろうと思った蒲田駅はなかなか現れず、さらに小一時間掛けてやっと蒲田駅に着いた。15キロ位は歩いたのだろうか。
 うつ状態の悪い一時期は、歩くこともすごく苦痛で、歩いて15分の距離をバスに乗ったりしていたが、それを考えると見違えるようだ。


 ちなみに昨日の新睡眠薬は、夜にコーラを飲んでしまったせいもあるのか、劇的に変化したような印象はなかった・・・寝る前にカフェイン取るなよって話ですが。